18-02-2020 ニュース

第二次世界大戦勃発80周年

80年前、ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻により、第二次世界大戦が始まりました。193991日早朝、ナチス・ドイツ帝国軍は、ポーランド・ドイツ国境を越えました。ポーランド軍は、同盟国の対応を心待ちにしつつ、軍事的抵抗を行いました。193993日、フランスとイギリスはナチス・ドイツ帝国に宣戦を布告しましたが、実質的な戦闘行動はとりませんでした。ポーランドは、ソ連が東側から侵攻を始めた、1939917日に、悲劇的運命の刻印を押されます。ナチス・ドイツとソ連の攻撃は、両全体主義国家が調印したリッベントロップ=モロトフ条約の結果でした――その秘密議定書の規定が、中央ヨーロッパをいわゆる「勢力圏」に分割するものだったからです。

1939年9月1日午前4時45分、ナチス・ドイツは「白の場合(Fall Weiss)」計画の実施に着手しました。この秘匿名称が意味していたのは、1600キロの長さに及ぶ戦線からのポーランド攻撃でした。ポーランド軍がその後1週間にわたって防衛しつづけることになる、ヴェステルプラッテ半島の武器倉庫は、戦争初日における抵抗の象徴です。ドイツ帝国司令部は、この戦役において、前代未聞の所謂「電撃戦(Blitzkrieg)」作戦に打って出ました。ドイツ帝国軍が数的・技術的に優勢だったため、ポーランド部隊は開戦後最初の数日にして、早くも国土奥地への後退を迫られました。しかしポーランド軍兵士の苦闘により、「白の場合(Fall Weiss)」計画の日程上の前提は、完全には実現しませんでした。

ポーランド軍部隊は、占領軍に対して激しく抵抗しました。九月戦役中最大の衝突は、9月22日まで続いたブズラ河畔の戦いでした。敗北に終わりはしましたが、ドイツ帝国を行動計画変更へと追い込み、ワルシャワ占領を1939年9月28日まで遅らせました。最後のポーランド部隊が武器を置いて戦闘をやめたのは1939年10月6日です。しかし、いくつかの部隊は抵抗を継続し、侵攻国に抗する行動を続けました。その一例が、1940年半ばまで存続した、ヘンリク・ドブジャンスキ(変名「フバル」)少佐指揮下のポーランド軍独立部隊です。

1939年9月17日、もう一つの隣国ソ連がポーランドに攻撃をしかけました。ソ連軍が攻撃をしかけた時点で、ポーランド政府はまだ自国領土内にあり、軍部隊はドイツ帝国との戦いを続けていました。東部国境において武力抵抗を行う必要性から、ポーランド軍はさらに弱体化し、1939年防衛戦争は敗北を運命づけられました。

ナチス・ドイツ帝国とソ連はともに、ポーランド領の制圧だけを目的にしていたのではありません。その知識人層の殲滅とポーランド国民の段階的絶滅を実行に移していきました。

ナチス・ドイツ帝国の空爆により、開戦後数時間のうちに、多数の民間人が生命を落としました。ドイツ帝国はまた、所謂「知識人〔殲滅〕作戦(Intelligenzaktion)」と「AB作戦=特別平定作戦(Außerordentliche Befriedungsaktion)」により、一貫して、ポーランド知識人層の虐殺計画を実行しました。ポーランド国土内において、占領軍は現地住民の大量殺害を始め、それは第二次世界大戦終結の1945年まで続きました。ドイツ帝国はまた、ユダヤ人住民の大量虐殺計画も実行しました。占領された他の西ヨーロッパ諸国と異なるのは、占領下のポーランドでは、ユダヤ人救済を行った者に死刑が課せられたことです。

ソ連領土においては、多数のポーランド人が収容所に送られたり、強制移住させられたりしました。収容所ラーゲリでは、飢えをかろうじて満たすだけの食料配給を受け、悲劇的な生活・衛生条件下に置かれ、刑事犯からの危険に絶えずさらされながら、奴隷的労働を強いられました。

1939年のポーランド防衛戦争の敗北によって、国内外の抵抗が終わったわけではありません。国内には、独自の軍団・議会・裁判所・秘密教育を有する、占領下欧州で最大の地下国家組織が生まれました。ポーランド軍もまたフランスとイギリスで復活し、ヨーロッパ・アフリカの全戦線での戦いに加わりました。1941年6月22日にナチス・ドイツ帝国がソ連に攻撃をしかけた後、シコルスキ=マイスキ協定が調印され、ソ連内にポーランド軍団が結成されました。ポーランド兵士は、連合国の勝利と第二次世界戦の終結に、顕著な貢献を果たしました。残念ながら、1945年はポーランドに自由をもたらしませんでした。ヤルタ会談の決定により、ヨーロッパは分断されました。フルトン(米国)遊説中のチャーチルが用いた「鉄のカーテン」の語は、戦後のヨーロッパ分断とソ連勢力圏に入ったポーランドその他の国々の奴隷状態を指しています。ポーランドが完全な主権を取り戻すには、1989年を待たなければなりませんでした。