ポーランド共和国下院は、2020年を、「ワルシャワの戦い記念の年」に制定しました。
1920年8月13~15日、ワルシャワ近郊地帯で、ポーランド・ボルシェビキ戦争(1919-1920)の天下分け目の戦いとなった、「ワルシャワの戦い」が繰り広げられました――「ヴィスワ河の奇跡」と命名され、英国の外交官エドガー・ヴィンセント・ダベルノンから「世界史上18番目の天下分け目の戦い」と認められたワルシャワの戦いです。
ポーランド・ボルシェビキ戦争は、ポーランド史に留まらず、ヨーロッパ史の最も重要な一章を成す出来事でした。1918年11月11日に復興したポーランド共和国は、その3か月後、主権擁護と不可避だった国境画定のために、決死の戦いに立ち上がりました。ロシア帝国の廃墟の上に1917年に成立したソビエト・ロシアは、革命を他のヨーロッパ諸国に広げ、それらをソ連化することを目指していたからです。この目的を実現するうえで要となったのが、ポーランド制圧でした。国家指導者ユゼフ・ピウスツキは、ボルシェビキ指導者たちが予告した「全革命戦線における」攻撃はポーランド最大の危機である、と判断しました。
1919年1月初め、ヴィリニュス近郊で、ヴィリニュス防衛部隊と赤軍部隊の最初の戦闘が勃発しました。続く数か月間に戦局は段階的に拡大しました。武力行為は、リトアニア・ベラルーシとウクライナの広大な戦場とラトビアで展開していました。双方は次第に強大な軍事力を投入していきました。数十万人の兵士、膨大な量の武器、物資・食料が戦線に送られました。戦争は復興途上にあったポーランド国家の資産を呑み込み、その発展を大幅に押し留めました。戦争の決め手となったのが、1920年8月のワルシャワの戦い(「ヴィスワ河の奇跡」)におけるポーランドの勝利です。軍事行為は1920年10月まで続きました。戦争は、1921年3月18日に調印されたリガ平和条約によって終結しました。
これらの戦闘において、ドイツはボルシェビキ・ロシアを助け、ポーランドの弱体化を図りました。秘かにソ連軍に武器と軍備が入った倉庫を譲り渡し、フランス・イタリアからの調達物資を運んでポーランドに向かう列車を停めました。
1914-1918年の4年間、ヨーロッパで続いた流血の大戦の後、支配的だったのは平和への渇望であり、それもあって、西ヨーロッパ諸国社会は、ポーランド・ロシア戦争の原因が十分には理解しませんでした。ヨーロッパと世界は、ボルシェビキ思想がいかに大きな脅威であるかについて、無知だったのです。
2年続いたポーランドとボルシェビキ・ロシアとの戦争は、再生されつつあったポーランド国家の主権を護持しました。ポーランド共和国は独立を守りましたが、同時に、手痛い人的被害と物質的損害を被りました。とはいえそのおかげで、ポーランド社会は1939年まで独立国家に生き、幾世紀にも及ぶ伝統に依拠した独自の文化を発展させることができたのです。またヨーロッパは、そのとき、共産主義の荒波から守られたのです。
ワルシャワの戦いとポーランド・ボルシェビキ戦争の詳細な説明は、以下のウェブサイトをご覧ください:
- www.bitwa1920.gov.pl ――ポーランド・ボルシェビキ戦争の最も重要な出来事、最も重要な人物、経過、ワルシャワの戦いの影響を説明するマルチメディアサイト(英文)。www.bitwa1920.gov.plは、珍しいアーカイブ動画・写真を観ることができる点で極めて貴重です。
- https://www.youtube.com/watch?v=zaJzm9TCyQM ――「歴史についての問い」シリーズ(IPN)の映画(上映時間約2分30秒)。この中で、ミロスワフ・シュミウォ博士が、ワルシャワの戦いについて物語っています。英語字幕付き(設定の必要あり)
- http://www.gunzosha.com/books/ISBN4-903619-83-5.html ――安井教浩著『リガ条約――交錯するポーランド国境』(群像社、2017年)。ワルシャワの戦いについての章を含む。
- イエジー・ホフマンの2011年公開映画(日本語字幕つき) 「バトル・オブ・ワルシャワ――大機動作戦」(DVD).
- 国家防衛省国民軍事教育センターの展示「1920-2020―ワルシャワ会戦:ヨーロッパの自由に寄与したポーランドの勝利」(ポーランド語・英語版)
· ワルシャワの戦い(1920)に関するアニメーション:英語版
https://www.youtube.com/watch?v=ngF9HCDBDz4 (wersja angielska)
· 『ワルシャワの戦いの中で輝く銀色の者たち』:英語版
https://www.youtube.com/watch?v=9LD5SWskLq8 (wersja angielska)