「世界にポーランドを物語る」という記事のシリーズをご紹介します。ポーランド国家記銘院ならびにポーランド国立銀行、ポーランド共和国外務省、ポーランド通信社(Polska Agencja Prasowa)の協力のもと、ニューメディア・インスティチュートが実現する企画です。すべての記事は、 Wszystko Co Najważniejszeというポータルに掲載されています。
日本語訳はポーランド広報文化センターないし駐日ポーランド共和国大使館が行っています。

●2023年9月10日 「記憶することは私たちの務め」 ピョトル・グリンスキ教授 ポーランド文化・国家遺産大臣
9月はポーランド人の記憶と歴史認識の中に特別な場所を占める月です。20世紀のポーランド国民の劇的な諸経験を振り返るときであり、2つの記念日がめぐってくるときです。その行事は私たちに、私たちの平穏な日常生活の基盤がしばしばどれほど脆いか、外部敵国の増大する帝国主義的野望を前にした警戒がどれほど重要であるか、そして国家の独立と私たちの生活の中で最も重要なもの――私たちの家族、生命と自由という幾世代もかけて獲得したもの――を守り抜く力が、いかに重要な価値であるかを思い起こさせます。(…) 続きはこちら: PDF


●2023年5月5日「自由と連帯はポーランドのDNA」 アルカディ・ジェゴツキ教授

「5月に、私たちは挙ってポーランド的なるものを祝います。ポーランド人も、ポーランドの友人たちも」――アルカディ・ジェゴツキ教授

5月は、一年の他の月にはないほど、私たちの歴史と現在の重要な記念日が重なります。232年前の5月3日、ポーランド下院はヨーロッパ大陸で最初の憲法を採択しました。それはポーランドの進路だけでなく、偉大なポーランド・リトアニア共和国(セレニッシマ・レス・パブリカ・ポロニアエ)の強さと大きさの表現でした。(…) 続きはこちら: PDF


●2023年5月3日「ポーランド的自由の憲法」マテウシュ・モラヴィエツキ ポーランド共和国首相

歴史とは残酷な皮肉の跳梁跋扈です。共和主義の理念が第一ポーランド共和国において完全な成熟に達して間もなく、倒壊が起こり、私たちの祖国は世界地図から姿を消しました。
1791年5月3日の統治法は、憲法「前文」に読まれるように、「私たちを私たち本来の姿に戻した瞬間」に採択されました。激動の三国分割時代に、私たちの先人は自らの存立基盤(アイデンティティ)をめぐる問いに直面しました。彼らが与えた答えは、230年間にわたって、その現実性を失いませんでした。21世紀になってもまだ、それは私たちが何者であるかを規定しています。(…)続きはこちら: PDF


●2023年4月17日「私たちはこの記憶の守護者――ワルシャワ・ゲットー蜂起80周年」ピョトル・グリンスキ教授 ポーランド文化・国家遺産大臣
1943年4月、ユダヤ教の祝日〈過越(ペサハ)〉の前日、ポーランドの首都を占領していたドイツ軍は、自らが開設したユダヤ人居住地区ワルシャワ・ゲットーを、その最終的解体に備えて包囲しました。4月19日、ドイツ警察とSS補助部隊が、絶滅行為を完遂すべくゲットーに突入しました。ゲットーの住民は退避壕や隠れ家に潜みました。ユダヤ人蜂起兵は、銃器、火炎瓶、及び手榴弾を使ってドイツ軍を攻撃しました。ガソリン入りの瓶で、2台のドイツ軍車両に火が放たれました。虚を突かれたドイツ軍は当初、ゲットーを防衛する人々の激しい抵抗を突破するできませんでした。(…) 続きはこちら: PDF


●2023年2月2日「フリデリク・ショパン」ーーポーランドの自由詩人 アルトゥル・シュクレネル 国立ショパン研究所長
160年前の1863年9月、一月蜂起のさなか、ロシア軍はワルシャワのザモイスキ宮殿を破壊し、室内に置かれていたかつてフリデリク・ショパンが弾いたグランドピアノを建物の窓から投げ落としました。この瞬間は歴史に残されました。 (…) 続きはこちら: PDF  (ポーランド語・日本語)


●2023年1月26日「250年におよぶロシア帝国主義との闘い」 エリック・ミステヴィッチ
中央ヨーロッパは250年以上にわたり一つの共通の問題と格闘してきました。160年前、ポーランド人、ウクライナ人、リトアニア人、ベラルーシ人は、ロシア皇帝の専制政治と帝国主義に抵抗し共に蜂起を起こしました。今日はウクライナを支援するために結束しています。(…) 続きはこちら PDF


●2022年11月18日「連帯の社会」ピョートル・アラック ポーランド経済研究所所長

戦争により数百万ものウクライナ人が祖国を追い出されましたが、ポーランド人はそれらの戦争
避難民を自宅へ快く招き入れました。ポーランド政府による前例のない決定により、ウクライナ人
は、選挙権を除いてポーランド人と変わらない生活条件を得ることが出来ました。 (…) 続きはこちら  PDF


2022年11月11日「西側の安全保障の基盤としてのポーランドの独立」 マテウシュ・モラヴィエツキ首相
1918 年 11 月 11 日、ポーランドは独立回復を果たしました。最初のポーランド共和国が、ロシ
ア、プロイセン、オーストリアの 3 大国による分割の結果消滅してから 123 年後の出来事でした。こ
の期間、ポーランドは欧州の地図上からは姿を消していましたが、ポーランド人の心の中では決して
消えることはありませんでした。123 年の分割の間、ポーランド人は様々な方法で自主権を主張し
ようとしました。自由を求めて沢山の蜂起をしましたが、独立した主権国家を再建するための条件
が地政学的環境で整ったのは、第一次世界大戦のときだけでした。(…) 続きはこちら PDF


2022年11月11日「空額(からがく)ーーポーランドの美術館が負った癒されざる傷」 ピョトル・グリンスキ教授
9 月半ばから、ポーランドの主要美術館では、絵のない額縁(空額)を見ることができます。これ
は、第二次世界大戦中の結果、失われた(盗まれた、壊された)、ポーランドの公的機関・個
人・教会が収蔵していた美術作品を思い起こしていただくことを目的とした広報活動です。こうした
損失の規模は莫大です。推定では、ドイツとソ連が実行した軍事作戦と 1945 年にこれらの侵攻
国がポーランド共和国領内で行った盗難の結果、51 万 6 千点以上の美術作品がその収集品の
中から姿を消しました。すでに 1942 年には、美術館の所蔵品だけでも、損失は戦前の総数の
50%に達すると算出されていました。 (…) 続きはこちら PDF (ポーランド語・日本語)