11.11.2022 ニュース

空額(からがく)――ポーランドの美術館が負った癒されざる傷

ポーランド独立記念日に際し、発表された記事をご紹介します。

写真提供:INM

ピョトル・グリンスキ教授

人文学正教授。副首相、文化・国家遺産大臣。2005~2011年、ポーランド社会学会会長。ポーランド科学アカデミー哲学社会学研究所所属。1997~2005年、同市民社会研修室長。

 

9月半ばから、ポーランドの主要美術館では、絵のない額縁(空額)を見ることができます。これは、第二次世界大戦中の結果、失われた(盗まれた、壊された)、ポーランドの公的機関・個人・教会が収蔵していた美術作品を思い起こしていただくことを目的とした広報活動です。こうした損失の規模は莫大です。推定では、ドイツとソ連が実行した軍事作戦と1945年にこれらの侵攻国がポーランド共和国領内で行った盗難の結果、51万6千点以上の美術作品がその収集品の中から姿を消しました。すでに1942年には、美術館の所蔵品だけでも、損失は戦前の総数の50%に達すると算出されていました。

残念ながら、多くの作品は消滅し、二度と戻ってはきません。破壊を被り、爆撃された建物の廃墟に埋められ、火災で焼かれ、そして常に偶発的であったとはいえない弾丸によって壊されました。ポーランドの美術館に展示されている空額は、失われた遺産の象徴ですが、押収され無法に持ち出されて、今日に至るまで私たちの国の国境の外に存在する作品が帰還することへの希望のしるしでもあります。

私たちが、ポーランドの美術館で「空額」の広報活動をスタートしたのが、本年度における、ソ連のポーランド侵攻(1939年9月17日)記念日の直前になったのは、偶然ではありません。私たちは、それによって、ポーランド共和国がドイツとソ連邦ロシアという2つの侵略国の犠牲になったことを思い起こしていただきたいのです。被占領国または交戦国として第二次世界大戦に加わったすべての国々の中で、ポーランドは最大の損失を被りました――犠牲者(約600万人のポーランド共和国国民の人命)だけでなく、文化と芸術においても。

空額はこれまでに12の博物館――最大規模の国立博物館だけでなく、より小さな地方機関、地域美術館――に姿を現しました。特別に制作されたプレートと記号は、第二次世界大戦中に西と東からの侵略国によってこれらの美術館から略奪された美術作品と歴史的遺産を思い起こさせるものです。活動の一環として、観覧者は作品押収後に残されていた元々の空額を見ることもできます。

こうした額縁は、ポーランドの美術館の倉庫にとてもたくさん保管されています。それらは、占領下のポーランド領から無法に持ち出された作品たちの無言の証人です。開戦当初から、ドイツ軍はポーランドの公的機関・個人・教会が収蔵していた品々の計画的かつ組織的な強奪を実行しました。作品は、第三帝国の奥地、または下シロンスクとポモジェ地方に特別に準備された倉庫に運び出されました。ドイツ当局者は、美術館の品々を彼らの執務室や住居の装飾に用いました。しかし、ポーランドの文化財を強奪したのはドイツ軍だけではありません。東部の戦線が移動するとともに、赤軍の所謂「略奪旅団」がポーランドに入りました。彼らの任務は、物質的遺産・芸術作品・美術館収蔵品・古文書の貴重な品々のすべてについて、その場所を特定し、押収することでした。これらの行動は、たちまち悪質な強奪と毀損に転じました。

ポーランドの収蔵品から失われた文化財の最初の登録簿は、1939年9月にはすでに作成されはじめていました。多くの美術館では、館員たちが、可能なかぎり緊急に、どの作品がどこへ運び出されたかを記録しようとしました。終戦直後に始まった返還要求運動は、略奪された遺産の一部を取り戻すことにつながりましたが、早くも1950年代には中断されました。そのときから1990年代初頭まで、芸術の取戻は国家の公的政策の一部ではありませんでした。政治体制の変化によってようやく、取戻をめぐる訴訟の再開が可能になりました。1992年、戦時損失データベース、すなわち第二次世界大戦中の結果失われた、ポーランド領に帰属する文化財の全国的な登録簿が作成されました。今日に至るまで文化・国家遺産省傘下の文化財返還局によって作成が続けられているデータベースには、6万6千点を超える記載があり、その数はますます増え続けています。現在、ポーランドの文化担当省庁によって、15か国で130件の返還訴訟が継続中です。ポーランド共和国文化国家遺産省の成果として、近年、6百点以上の貴重な作品が母国の収集品の中に戻ってきました。

現在ポーランドの美術館に行くと見ることができる空額は、「自らの」芸術作品の帰還を今も待ち続けています。それらが盗品の返還プロセスにおいて重要な証拠になるのも、稀なことではありません。額縁に付せられている当該コレクションの所有者記号または登録シールを、例えばアーカイブ写真を基にして、探し求められている絵画と首尾よく一致させられれば、それはしばしばその絵画が戦前の収集品の一つであることを確認する助けになります。

2019年に取り戻されたマルチン・ザレスキの画布「ミラノ大聖堂の内部」の場合がそうでした。ワルシャワの国立博物館の収蔵品の中に、1840年頃に作成され、画家本人によって選ばれた絵画の元々の額縁が保存されていました。額縁の裏側に見えていた旧登録番号と、何年も前にその短辺の表側に付せられた画家名のプレートを基に、本物と証明されました。

世界で最も有名な、ポーランドの戦争中の損失品は、クラクフのチャルトリスキ公爵家美術館の収蔵品であった絵画、ラファエロ作『若者の肖像』です。絵画が失われた後に残された空額は、日々クラクフ美術館の展示の中に見ることができます。ジョージ・クルーニー監督の映画『ミケランジェロ・プロジェクト』(2014)には、逃亡するドイツ軍が美術品倉庫の一つを閉鎖するに際して、そこに保管されている品々に火をつけるシーンがあります。『若者の肖像』は、炎に包まれて姿を消します。しかし、私たちは、実際にはそのようなことは起こらなかったと信じています。ポーランド国家は、この貴重な作品や、その他の第二次世界大戦中に押収された文化財を探すのをけっして止めることはありません。私たちの目標は、ポーランドの美術館の空額と空棚が、取り戻された作品で満たされるようにすることです。

ピョトル・グリンスキ

 

このテキストは、国立記銘院とポーランド国家財団との歴史プロジェクトの一環として、ポーランドの月刊誌「最も大切なことのすべて(Wszystko co Najważniejsze)」に同時掲載されました。

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