情報元:セイム月報 No. 10 (915)/2020 特別版 (関口時正 訳)
(※セイム Sejm とは、ポーランド共和国議会下院のこと。)

ロマン・ヴィトルト・インガルデンRoman Witold Ingarden (1893-1970)

ロマン・インガルデン
撮影:PAP/Irena Jarosińska


2019年6月13日付ポーランド共和国下院決議
2020年を《ロマン・インガルデンの年》に制定する

2020年は、ポーランドの最も傑出した哲学者のひとり、ロマン・インガルデン(Roman Ingarden)の没後50周年にあたる。ポーランド共和国下院は、その大きな功績を評価し、顕彰することを決議する。
ロマン・インガルデンは1893年、クラクフに生まれ、ルヴフ〔Lwów現在ウクライナのリヴィウЛьвів〕、ゲッティンゲン、ウィーン、フライブルク・イム・ブライスガウの各地で、数学と哲学を学んだ。1918年に受理、合格した博士論文の指導教授はエトムント・フッサールであった。1933年からはルヴフのヤン・カジミェシュ大学で教授を務め、戦後はクラクフのヤギェロン大学で教えた。ロマン・インガルデンはまたポーランド学術アカデミー〔PAU〕、ポーランド科学アカデミー〔PAN〕の会員であった。
著書、論文、翻訳、そして手稿から成る、ロマン・インガルデンが遺した業績は圧巻であるとともに、その領域は文学の哲学をはじめとして美学や認識論から存在論におよぶ広範なものである。その仕事の出発点は現象学にあったが、時とともにインガルデンは独自の思考スタイルと用語を確立し、哲学のためのポーランド語を豊かにした。
とりわけ強調に値するのは、妥協をよしとせぬその不屈の知性であった。彼が主著『世界の存在をめぐる論争』を書いたのはドイツによる占領時代のさなかであり、1950年には、マルクス主義に対する批判的な姿勢をとった廉で本務校であるヤギェロン大学において講義をする権利を剥奪され、現象学に関する著作の刊行を禁じられた。その結果生じた自由な時間を、インガルデンは創造的な仕事にあて、インマヌエル・カントの『純粋理性批判』の模範的な翻訳を完成した。また、自身は合理主義者でありながら、長年にわたりエディット・シュタインと文通した。インガルデンの弟子の中には後のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世カロル・ヴォイティワ(Karol Wojtyła)やユゼフ・ティシュネル(Józef Tischner)がいた。
1956年、インガルデンは教壇に戻った。生涯の最後まで、精力的に仕事をつづけ、著作を出版し、数多くの国際会議に出席し、ヨーロッパやアメリカ合衆国で講義をした。なかでも合衆国とドイツでは評価が高く、現代の最もすぐれた哲学者のひとりとみなされている。
ポーランド共和国下院は、哲学者インガルデンの業績と姿勢のすぐれて高い価値を認め、2020年を《ロマン・インガルデンの年》として制定するものである。

ロマン・インガルデンの書斎(1960年ごろ) 写真提供:クシシュトフ・インガルデン


それは、流行などに囚われることのなかった、真に一流の人物だった。

その業績は、ヨーロッパ文明の基本的な枠組みが生きながらえるかぎり、生きながらえるだろう。ひとことで言えば、彼は――ポーランドのアリストテレスだった。コペルニクスと並んで、ポーランドが生んだ最大の思想家だと言う者もいる。  イェジー・ペジャノフスキ Jerzy Perzanowski (哲学者、倫理学者)

インガルデンは最後の最後まで活動的だったと、ともに仕事をしていた人々は語った。哲学に対する彼の取り組み方は深く、創造的で、真摯で、揺るぎのないものだったと、彼らは強調した。その言葉は、名士の死後にありがちな儀礼的、社交的な弔辞ではなく、哲学の発展に異論の余地ない貢献をなしとげた人間の天才を物語る偽りない証言だった。

 これよりはるか以前にそのことに気づいた、司祭にして教授のユゼフ・マリア・ボヘンスキ(Józef Maria Bocheński)は、インガルデンについてこう語っていた――「私が深く尊敬する、ひとりのポーランド人現象学者がいます。インガルデンです。古今を通じておよそポーランドが生んだ最大の思想家であり、20世紀ヨーロッパの最大の思想家のひとりだというのが私の管見です」。

チェコのすぐれた哲学者でフッサールの門人、「憲章77」の発起人として共産主義政権に弾圧されたヤン・パトチカもまた、同じような意見を述べていた――「広範な関心、徹底した分析、鋭く独創的な着眼によって、インガルデンはもっとも傑出した現象学者だったし、ポーランドのみならずスラヴの思想家としても第一人者だった」。
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インガルデン略歴

1893年 2月 5日 ポーランド南部の古都、 クラクフ 市 に生まれる。父はロマン・カイェタン・インガルデンRoman Kajetan Ingarden、母 ヴィトスワヴァ Witosława (旧姓 ラトヴァンスカRadwańska)。2人 の 姉、 マリア( Maria 1883年生 まれ)と、 ヤドヴィガ (Jadwiga 1888年生まれ)がいた。

 

「美的対象と美的経験 ロ マン ・インガルデンの芸術論に拠りつつ」  加須屋明子(京都市立芸術大学教授)

美的対象と美的経験 ーインガルデン美学          

20世紀を代表する美学者・哲学者である ロマン・ ヴィトル ト ・ インガルデン( Roman Witold Ingarden 1893年 2 月 5 日 1970 年 6 月 14 日 の 功績は受容美学において大きなインパクトを持 つ 。それは彼の時代までの芸術作品の分析にとどまらず、戦後そして 21 世紀に入っての、同時代の芸術傾向、 概念芸術や参加型の作品、いわゆる 社会的関与芸術 などにも 適用可能であ るかどうかを検討したい。結論を先取りすれば、インガルデンの芸術作品の構造分析や 美的経験、 美的 価値についての論考は現代の芸術を考える上でも重要な役割を果たし、 大きな示唆を得 ることができる 。

インガルデンの音楽論により解決へと導かれたショパンのエディション問題 岡部玲子

20世紀も終わろうという頃、ショパン作品のエディション研究で博士論文(岡部2001)を作成していた際、ショパン特有のヴァリアントの問題が大きな課題となった。その時に、指導教官の徳丸吉彦教授からご紹介をいただいたのが、インガルデンのThe Work of Music and the Problemof Its Identity(Ingarden 1986)であった。
本稿では、ショパンのエディション研究においてヴァリアントの問題を考える際に、インガルデンの考え方がどのように役立ったのか、どのようにしてヴァリアント問題が解決できたのか、そしてさらに、その後のショパンのエディション研究の発展について記述する。
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R.インガルデン 関連 主要 参考文献(日本語)

インガルデン文献

  1. インガルデン 関連 主要 参考文献(日本語)

*欧文の関連文献については、ロマン・インガルデン・デジタルアーカイヴhttp://ingarden.archive.uj.edu.pl/en/dziela/  参照。

【書籍 】

ロマン・インガルデン 『文学的芸術作品』瀧内槙雄・細井雄介訳、勁草書房、 1982 年、新装版 1998 年

ロマン・インガルデン 「「エドムント・フッサールの思い出」および書簡への注釈」『フッサール書簡集 1915 1938 フッサールからインガルデンへ』桑野耕三、佐藤真理人訳、せりか書房、 1982 年、 pp .157 276

ロマン・インガルデン 『人間論 時間・責任・価値』武井勇四郎・赤松常弘訳、法政大学出

版局・叢書ウニベルシタス,1983 年

ロマン・インガルデン 『 音楽作品 とその 同一性 の 問題』安川 昱訳、関西大学出版部、 2000年

ロマン・インガルデン デジタルギャラリー
 http://ingarden.archive.uj.edu.pl/en/home/  (英語)